散らかっていることよりもひどい無関心の空間

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以前いた職場で掃除や片づけをやり始めたことが、今私が「家作務」と呼んでいる環境整備に取り組むきっかけとなりました。

職場空間というのも、働く者にとっては家と同じく長時間過ごす空間ですので、そこが居心地の良い快適な空間かどうかということはとても重要なことだと思います。

もちろん職場と言っても一通りではありませんので、ここでは単なる一例を述べることしか出来ませんが、作務という観点、環境整備という観点での一考察と捉えて頂ければ幸いです。

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さて異動辞令が出、配置替えとなったその部署に入ったときに、何かとても違和感を感じたのを覚えています。何とも空間が殺風景に感じたのです。

一体どうしてなの ? ? ?

何ともどんよりして、光が差し込んでいないような印象がぬぐえませんでした。

その違和感を解明、解決すべく、私は掃除を少しずつやり始め、整理整頓も同時に進めて行きました。見た目には一見そう汚くないような空間だったのですが、今から思えばそれは目に見えるところだけを最低限の労力で掃除しているということだったのかも知れません。

ところがいったん手をつけ始めると、手つかずの状態でほったらかしになっていた箇所がどんどん日の目に晒されることになっていきました…(T_T)。

自分の家や部屋の場合でもそうですが、普段は目につかない汚いところや、物を押し込んで隠しているところ。あるいは不自然に感じる無造作な配置などといったところに目をつけるということがまず最初に重要だと思います。

私の場合はそれが職場で、それは可哀想なほどに整理されていなく、また公共であるがゆえに逆に手をつけられることなく無関心なままにほったらかしにされていたということでした。

埃がたまっていたり、片づけや掃除が行き届いていない場所というのは、結局は“無関心”“無責任”の表れであることが多いのではないでしょうか。

私が最初その空間に感じた違和感というのは、この空間への「無関心」の表れからくる雰囲気ではなかったのではないだろうか、と作務を進めていくうちにふと感じたのです。

続く→「環境不整備が及ぼす悪しき作用(影響)について」

2023.1.20