あらためて、作務(さむ)という言葉について考えてみたいと思います。作務という言葉は禅寺などでの修行で使われている言葉と聞いていますが、今でも宗教修行のなかのひとつとして、掃除などを行う際にその精神性を重視して使われている言葉のようです。
「作務は単なる掃除ではありません。空間を整えるとともに、自らの心をも磨き、向上させていくための宗教修行になっている。」ということのようです。
こんなことを書いていると、昔、お釈迦様の時代の話を思い出します。
シュリハンドクというお弟子さんは、自分の名前も覚えられないほど頭が悪く、同じく釈迦弟子であったお兄さんはそんな弟のことを恥ずかしく思っていたそうです。
お釈迦様はこのシュリハンドクに一つの修行課題を与えます。掃除をする際に「塵を払わん、垢を除かん」と端正に心を込めて、掃除に打ち込むことを命じられました。
やがて、単なる掃除を掃除とせず、その行為を通して己れの「心を磨く」という修行を貫かれたシュリハンドクはついには「心が透明で天上界からインスピレーションを受けられるアラハンという境地」にまで達したと言われています。
今日は作務という言葉の持つ意味について少し考えてみました。(^-^*)
2022.12.22